人がなすコトには必ず想いが宿る。

たとえば、手紙。
相手のことを想い、したためる。
郵便配達員は、単に手紙というモノを運ぶのが仕事ではない。
送り手の想いを相手に届ける大切な役割を担っている。
当たり前のように家のポストに届く手紙。
しかしそれは、速やかに間違いなく届くように、汚れずに届くように・・・と、郵便配達員の想いもまた込められているのである。

「あったらいいな」をカタチにするのがモノづくり

モノをつくるに際し、そこには必ず製作者の意図や想いが込められている。

使って欲しい・・・
癒されて欲しい・・・

本当の意味でモノを活かすということは、製作者の意図を汲むことだと私は考える。
もちろん、「自分のものになったから」と、製作者の意図なんてお構いなしにすることも、その持ち主なりのモノの活かし方なのかもしれないが。

「あったらいいな」をカタチにするには多くの人たちが関わっている。
それらの人たちの想い全てを大切にしたいと思う私は、単に良い人ぶりたいだけなのだろうか。

モノを片づける現場

私の仕事の一つに、クライアント宅での整理収納お片づけサポートというものがある。
そこには、制作者が見たら悲しむほどに制作者の意図に反したモノが多数存在している。

使っていない・・・
どこにあるか分からない・・・
あること自体忘れている・・・

先に書いた、「あったらいいな」はやっかいである。
言い換えれば、「あったらいいな」は「なくてもOK」なのである。
だから、制作者の意図に反してしまうことが起きるのである。

「モノ」を扱う者として思うところ

それは、様々な事情による乖離をなくす・・・いや、せめて減らしたい。
つまり、クライアント宅の家を整えるだけではなく、制作者の意図も大切にしたい。

私はモノを活かすプロフェッショナルである。
モノを扱う者として、モノを泣かせたくはない。

私は、「あったらいいな」をさらに進化させ、将来的にはそれらが当たり前に存在し、「ないと困る」になりゆくことを願いながら、モノづくりへのアドバイスも仕事として行っている。

モノを通して、選ぶ楽しみはもちろん、使うことで購入する人たちを笑顔にする。
モノが活かされる暮らしの実現こそが喜びであり願いでもある。